トマトペースト

「金曜、飲み会の後、とま子先輩のとこに泊まったんだって?」
 昼休み、自販機の前の観葉植物で囲まれた小さなスペース。名称は知らない。ココアの缶を熱そうに開けもしないで持ったままでいていた、伊予に声をかける。
「そうなの。終電なくなっちゃって」
 私も自販機にコインを三枚入れて、熱いコーヒーを買う。ブラック。伊予と向かい合って長いすに座る。
 伊予と私は同期で、新人の時二人まとめてとま子先輩に付いて仕事を教えて貰った。とま子先輩はその頃には若いのにもう大きなプロジェクトを終わらせたばかりで、ちょうど次の大きなプロジェクトとの繋ぎに新人教育を任せられたのである。新人二人はそのままとま子先輩の次のプロジェクトの補佐兼雑用係になり、つまりはとま子先輩に二人とも入社してからもう三年、ずっとお世話になりっぱなしだ。
「あんまり迷惑かけちゃ駄目よ、先輩に」
「やだな亮ちゃん、酔った先輩を送り届けて介抱したんだよ」
 男とよく間違えられる名前がコンプレックスな私と違って、伊予は細くしとやか。その点について羨んでも仕方が無いけれど、本当に羨ましいのは、とま子先輩が伊予を好いているということ。ブラックのコーヒーを流し込んでも、流れ切れない苦い思い。
「とま子先輩ったら、冷蔵庫にミネラルウォーターも無いの。胃薬は置いてあるのにね」
 ココアの缶を開けるのに未だ手間取る伊予の話に頷きながら、醜い嫉妬を感じている。
 とま子先輩への気持ち、自分の胸の内は恋なのだか尊敬なのだかそれの区別さえついていないというのに。
「あぁでもトマトジュースはいっぱいあったな、先輩の家」
「トマトジュース?」
 やっとプルタブを上げた満足感からかと思った、その台詞に伴う優越感みたいな喜びの色。開いた缶から、甘いココアの香りが広がる。観葉植物がそれを吸って、また吐き出す。
「そう、前に私が言ったからかな、ビールのトマトジュース割り」
 自慢げに、もし伊予が自慢の念を含まず言っていたとしても私がそれに含みを感じたのだから考える意味が無い、自慢げに伊予が言う。おそらくは尊敬の念のみを抱く目の前の華奢な可愛らしい少女、恋だとか愛だとか関係なく先輩を好きでいられる彼女。先輩にそういう意味で好かれているなんてつゆも知らずに先輩を人として好きでいる、その純粋さに私が敵うはずも無い。

 好きだとか恋だとか嫉妬だとか、私の感情は、もう、恋でいい。
 叶わない、恋でいい。