ピアニスト

 綺麗に響かないで。短く切り揃えられた爪が食い込むのは私の肌で良いよ、黒と白の美しい調和を生み出すより、私が汚く耳元で喘ぐ方があなたは欲情するのでしょう。切り裂いてびりびりになったブラウスの残骸を、投げ捨てると、不意に鍵盤に当たって、嗚呼、泣きそうなG7、掻き消すように私は泣いて叫ぶの。黒く滑らかな内部は女心より複雑に入り組んだ弦とハンマー。それを壊してしまいたいと、望みながら、弦に指を置くようにしな垂れ、身を反らし、不協和音を鳴らす喉をあなたに見せ付ける。噛み千切られても、口付けされても、あなたなら、良いわ。ただ、私の全てをつぎ込んでも壊れない、黒色の彼女を優先しないで欲しいの。
 いっそ心中しようかしら、黒く美しい、あなたに愛される私以外の唯一と共に、複雑な中に抱かれて、海に投身、夭折気取るのも良いじゃない。
 私の肌は白いけれど、黒に映える白には適わない。けれど、黒よりも赤の方をあなたが好むって、彼女はご存知? あなたが指を食い込ませ、手の平を張って、硬い革靴の爪先を私に蹴り付ける度に、私はずっと美しくなれるのよ。赤を知らない黒色なんかより、ずっと私の方が綺麗なんだから。
 でも本当は知ってるの、彼女の上で歌う私を一番にあなたが愛しているって事。不協和音で歌う私に、彼女が美しい和音を合わせる、そのいびつなハーモニーをあなたは一番に好むのよね。ねぇ、彼女を綺麗に響かせないで。あなたが彼女の白色と黒色に指を這わせる度に、私は嫉妬を募らせて、この喉を張り裂けさせるように叫ぶしかないの。泣きそうなA6、叫ぶほどに高調するあなた、ねぇもう服なんて全部剥ぎ取って、髪の毛だってばらばらに切って、複雑な女心、中に放り込んで詰まらせてしまえば良いじゃない。だって彼女、少しの狂いで音程なんてばらばらよ。面倒な調整がお好きなら、もっと面倒な女になりましょうか。彼女が居なければ、私が歌うから、ねぇ、彼女を愛おしそうに撫でるのは止めて。
 あなたの美しい十揃えの指が、彼女を撫でると、私の胸は掻き乱される。壊れちゃえば良いのに、女みたいに彼女は凄く頑丈なんだもの。もう、本当は、彼女とあなたの美しいハーモニーが羨ましくて、疎ましくて。皮膚に赤を滲ませながら歌うことしか私は出来ないのに。ねぇ、もっと触れて、メゾピアノの弱さで撫ぜて、アレグロで叩いて、ペダルを踏んで反響させて。彼女にするように、少し汗を滲ませながら、私も演奏して欲しいの。そうすれば、私、悔しいけれど彼女と一緒になって歌うわ。綺麗なメロディーを否定する歌声で、ラララなんて高尚じゃないけれど。
 彼女がいつか壊れますようにと、私は彼女の内部に手を突いて、髪の毛を絡ませて、汗や血や汚い色々な液体、彼女の中に抱かれて、あなたに抱かれるの。彼女が、その突き上げ棒をぽきりと折って、あなたと私を挟み潰すのを、そうして、願っているの。