マゾヒズムシンドローム

 マゾヒスト、と呼ばれる分類の人間だ、私は。
 被虐趣味というと聞こえは良いが要はマゾヒズムに浸ったマゾヒストなのである。
 つい先日だって部室で先輩に「眼球プレイてメジャーなの」なんて聞かれて「え、マイナーなんですか」とか驚き交じりに答えてしまって、ふぅんと腑に落ちないか落ちたのか分からない態度の先輩にふっと額の下、瞼に手を掛けられて危うく眼球を舐められそうになった。抵抗は全くしなかった。ちょっとぐらい抵抗しなさい、と怒られてしまったが仕方ない、マゾだもの。
 ところで、マゾなんて異常性癖をしていても根は普通に善良で真面目でやさしい人間だ、と自負している私は、人間が一番傷つく行為とは人を傷つける行為だと信じて疑わない。でなきゃ被虐趣味が人を虐めたりなんかしないよ、むしろ虐められたいのだもの。虐めることで自分が傷ついて、あぁそれに罪悪感ちゃったりしてそれが無性に気持ち良かったりだなんて、友達に言ったら「このドM」って罵られてしまったよ、もっと言って。
 ねぇでもひとつだけ言い訳させて、君にだけは、そんな罵ってもらったりとか蔑まれたいだとか思わない、いや思うけど願ったりはしないよ、だって君は罵ったり蔑むなんて行為を嫌う人だからね。君が傷つくのだけは嫌だ、いやそれもそれでものすごく酷い罪悪感、きっと私は背徳や後悔や後ろ暗さを感じながらドキドキしてる。恋のドキドキなら良いのにね、こんな醜い興奮なんて。ああ私なんてもう名無しの通りすがりに刺されて死んでしまえばいい、本当に君を好きなのに、いや好きだから、君に刺されて死にたい。いっそ殺してください。
 青春なんてかわいらしい言葉があまりに似合わない私はもういっそ乞食か何かに身を落とせば良いと思う、そうして君に物を乞うて、物とはつまり食べ物とか愛とか蔑みとかそういうもの、やさしい君は一筋の情けをくれるだろう、それに縋って生きるなんて馬鹿馬鹿しい生き方をすればいい。本当、そういう本能に従った生き方をしたかった。なのに私は欲張りでどうしようもない被虐趣味で君を傷つけることで自分を傷つけるような愚かしい行為がたまらなく気持ちよくて、だから、君に青春をまったく含まない真実を言ったのだ。
「大好き。愛してる」
 そうして抱きしめた身体が温かくてその体温が私には棘のように突き刺さる。女の子に愛されるだなんて仕打ちに君はきっと心を痛めて、その痛む心に私の心も痛んで被虐趣味が満たされるというカラクリです。最低ですののしってください。なんて、本当は、そう、思っていたのに。
「私も、大好き」
 背中に回った手にもしナイフでも携えて、そのまま突き刺してくれれば私は幸せだったのかもね。でも、それでも、満たされない被虐趣味に反して心臓の脈動が半端ないのだけれどどうすればいいのかな、血液循環の速度があまりにも速い、付いていけない身体の体温が上がりに上がってもう沸騰しちゃえばいいよ。ねぇ、ねぇ、この仕打ちは優しい君からのどうしようもないマゾヒストへの施しなの。
「キスして良い?」
 なんて上目遣い、これは拷問かなもしくは刑罰かな。どちらでも構わないけれど地獄に落ちたか天国に上ったかみたいなかわいらしさ、耐えられないね、そう、耐えられない、そのまま上目遣いのまぶたが閉じるか閉じないかを確認する前に私はキスを落としました。柔らかいし温かいしそれは多分恐ろしいぐらいの幸福で、きっと君の唇はナイフなんだよ、マゾヒストを喜ばせる、ナイフなんだよ。
「大好き」
 にっこり笑う君が愛しくていとしくてたまらなくかなしいマゾヒストは、おそらく君によって被虐趣味を失格させられるね。気持ちいいのが気持ちいいなんて、まったく!