友愛

 朝から降り続いた雨が止んで、恐ろしいほど空気が澄んだ午後であった。雨の喧騒は集中力を散漫させて、更には増える湿気に頭までじくじくと痛み、お陰で今日一日宿題のページは一枚も捲れていない。一度緩んだ集中は雨が止んだからといってすぐに回復するものでもない。いいや、本当は湿気などよりもっと頭を痛める問題があった為だ。同居人への理解しがたい感情について。
 放ったらかしていたストーブの灯油が切れた。そう寒くは無いかと高を括っていたが半時もしない内に耐え切れなくなる。それでも、自分で灯油を足すのは面倒くさいと無精する。ならば、隣の部屋、きっとルームシェアする同居人の部屋ならば暖かいだろうと考える。
 失礼するよ、と声を掛けて扉を開ける。私同様、同居人も手持ち無沙汰にストーブの横で目を瞑り考えに耽っている様だった。二言三言交わして、ストーブを挟んで向かいに座る。そうして沈黙を守ったまま、銘々の思案に耽ったまま半時間ほどが過ぎる。
 かくして半時間、静寂が流れていたのだが、不図、本当に意図せず、沈黙が破れた。
「愛しているの」
 池に石を投げ込んだような、波紋。不意の発言に驚いていたのは同居人ばかりでない。むしろ事態の下手人の私の方が吃驚していた。驚きついでに、私は今言った台詞を確認するように、舌の上で咀嚼しながらもう一度繰り返す。
「愛している、私は、君を」
 同居人は暫く鳩が豆鉄砲を食らった顔をしていたが、そのまま顔色を戻して黙り込んでしまった。もしかすると私は取り返しのつかない発言をしたのではないか。恐ろしい考えに体が固まってしまう。なおも、向こう側に座る彼女は微動だにしない。顔色を伺う私を知ってか知らずか、数分も沈黙を続けた後、そしてやっと口を開いた。
「私もよ」
 今度は私の方が面食らった顔をしていたであろう。愛していると言って、それに同居人が同意した。妙な胸の高鳴り。いっそストーブを消してしまおうかと思えるほどに一瞬で熱くなった体温。顔はきっと酷く赤いだろう。しかし、一番に不自然なのは胸を満たす多幸感である。煩悶としていた感情が、一瞬に打ち消されたようだ。
 しかして、数分の混乱の沈黙を画して、同居人が耐え切れないと言う風に笑った。
「珍しいね、君が冗談を言うなんて」
 はっと頭が現実に戻る。一息に否定された多幸感からの転落。愛しているのは当然であるのだ。
「友愛だからね」
 自らに言い聞かせるように口に出した友愛という言葉に、痛いほどの違和感を抱く。ようやっと気づいた、胸を渦巻く感情が、友愛でなく、恋愛だと。