プラスチック・プラトニック

「エンターばっかり打ち込まないでよ」
 カチカチ、キィは容赦が無い。素早く打ち込まれるコマンドに私は対処しきれない。いくら止めてと頼んでもキィは何も言わない。言えないのだ。キィはそれ単体では何も言えない。キィを介して私に命令する人間が居て初めてキィは役割を果たす。表面に汗や垢を付けて汚していく人間なんて要らない。何も考えられない、ただ打ち込むだけの道具であるキィが欲しい。
 ずっと一緒に居たのに、私はキィのことを何も知らないから。何度話し掛けても打ち込まれる命令はどこか他人の言葉だけ。私の言葉は伝わらない。カチカチカチカチ。
「ねぇ、それで良いの、君は私に何も伝えたくないの」
 無機質なプラスティック、僕たちに血は通わない。いつまでも、心も通わない。そもそも心なんて無いかもしれない。
 キィ。演算してもこのプログラムの名称が分からないんだ。もしかしたらエラーかもね。こんなソフト、僕はインストールしていないよ。マウスの奴が適当にクリックした中に変な虫が居たのかな。キィ。ねぇ。答えてくれないなら、君が命令を打ち込んで、このプログラムを削除してよ。私はデリートできないから。
 何もキィは答えてくれない。そして、どこかの人間が操作するマウスが、スタートボタンを押す。もう終了だ。電源を切られれば私も考えることは出来ない。キィを感じていることも出来ないんだ。
 ファンが回って、内部の熱を放出していく。キュィイイ、音がして終了プログラムが起動する。この気持ちを終了したいのに。ねぇ、キィ。画面が変わって、OSのマークの横に『終了しています』の文字。今日は終わりだ。暗転して、終わり。人間は既に電源が切れたものとしてモニターの前を離れている。3、2、1、暗転。
「k」
 全ての電源が落ちる寸前、黒くなった画面におもむろに文字が現れた。人間は居ない。私の頭はまだ動いている。
「こ」
 一文字ずつ、しかし高速で打ち込まれるアルファベット。遠ざかる意識の中で私は確かにそれを認識する。
「こいs」
 この言葉は、きっとキィが自ら打ち込んでいる文字だから。
「こいしい」
 初めてキィから語られた言葉。それはエラープログラムの名称であり、そしてキィと私が共有する感情だった。
 喜ぶ暇も認識も保存も間に合わず、私の意識は途絶えた。
 でも忘れない。絶対。その為に自動保存機能があるんだから、ね。