午後九時の電車の中は誰もが疲れた顔をしている。窓の外に助けを求めてみても新緑の色さえ区別できない。がたんごとん、揺れる車内で一つ欠伸を殺す。酔っ払い達が騒いでいるのも、同じ車両だというのに恐ろしく遠くに聞こえる。
 駅から駅の間が酷く長く感じられたけれども、いずれ電車は駅へと着く。惰性的にホームに降り、定期をかざして改札を出る。駅前の街路樹はもう桜色から新緑色に変わってしまっていた。寒さの消えた風が柔らかに吹き荒れて、花びらを散らした。
 新年度のこの季節は、毎日が慌しく過ぎていく。立ち止まって花を眺める暇も、味わい切れなかった春を悔やむ時間も持ち得ない。
 桜の木を通り過ぎて、家へと帰る。アスファルトを踏む一足が重いのは、先週から居ついている居候の所為もあるだろう。
 古くからの友人が久方ぶりに訪ねてきたと思ったら、物置にしていた一部屋に住み着いてしまった。一人暮らしの身である、泊めてくれと言われて断れる理由もない。しかして他人が自宅に居るというのは気の休まらないものである。帰宅の為だけに溜息を吐いた。
 蛍光灯が点滅している街灯に照らされながら、五分ほど歩くと自宅がある。平凡な安アパートだ。ただ一つ、屋根の下にツバメが巣を作っているのは良い。親鳥がせっせとこしらえた巣はもうすぐ完成し、雛が生まれるだろう。
 もう眠っているツバメを眺めて、部屋の前に着く。扉を開き、慣例で「ただいま」を言う。奥の部屋から居候が出てきて「おかえり」と返す。窮屈な居候だが、この習慣は好きだ。
「料理していたの」
 居候がおたまを持っていたので、尋ねてみる。
「良い筍があったから、若竹煮を作っていたの」
 言われて、台所から流れてくる匂いを感じた。筍の淡い香りだ。笑顔を残して居候はまた台所へ立ち戻る。わかめがぐつぐつと煮えていく。服を着替えて食卓に着くまでに、若竹煮の皿を並べて置いてくれるのだろう。家事をして貰えるのも居候はありがたい。
 ようやく落ち着いて食事が出来る。もう時計は十時近くを指している。窓の外で、からすでも見付けたのか、目覚めたツバメが騒がしく鳴く。
 並んで手を合わせて「いただきます」。二人分の箸が並んだ光景にも、もう慣れた。しばらくは黙々と料理を口に運ぶ。空腹が少し収まった所で、どちらからともなく雑談をする。ツバメの巣、午後九時の電車、スーパーで買った筍。そして味わう間もなく新緑色に変わってしまった桜色。過ぎてしまった季節を悔やむ暇すら与えてくれずに。
「もう桜は散ってしまったわ」
 ツバメの声の残滓が耳にうるさい。静かなる夜さえも手に入らない。
 しかしそれでも、居候は朗らかに飯を口に運ぶ。
「そうね、春が始まったようね」
 過ぎてしまった季節を、居候はなお始まったのだと言う。柔らかな風に、もう吹き飛ばされてしまったのに。そう反駁すると、居候は少しの笑みを零して、若竹煮の皿を私に差し出した。
「桜だけが春ではないのよ」
 嗚呼、筍の旬は春だったか。
 ツバメの声が、柔らかな春風に吹かれて消えていった。