うんざりするほどの分厚さに重なった名刺を整理していると、白い紙片の中に一枚、鮮やかな色彩を見つける。画家になった友人から貰った名刺であった。
 数ヶ月前、昔馴染みの友が画家になったというので個展を冷やかしに行ったら、並んでいたのは色鮮やかに目を奪われる絵、放蕩していた絵描きの昔を知る身からすると信じられない美しさである。一通り個展を見回った後、久方ぶりに会った友は、幾許かの苦労を知った顔、しかし立派に成功を収めたなりである。誰かしら顔を見る度にその人の事情を勘繰ってしまうのは、企業の人事部などに勤めている所為であろう。嫌な職業病だ。
 お世辞ではない賞賛を贈り、四方山話を終えて、別れ際のことだ。絵のモデルをしてくれないか、と友が申し出てきた。私は社交辞令かと思い時間の都合がついて、なおかつヌードでないのなら、と冷やかして返したつもりだったが友は本気であったらしい。ならば時間が空いたら連絡をしてくれ、と名刺を渡された。良いわ、連絡する、私の方も半ば本気になってそう言って、しかし多忙な仕事に約束も忘れ、今に至っている。
 ちょうど仕事も一段落ついて久しぶりの休みも取れそうな頃合であった。家にこもって過ごす休日も悪くはないが、画家である友とお喋りでもしながら絵のモデル、なんて洒落て素敵ではないか。そうして私は友に電話をする、すぐに繋がった電話、いつでも良いからアトリエにおいでとの柔らかい答え。三日後に伺うわ、と答えて電話を切る。仕事仕事の毎日に突然の楽しみ、つい笑みが零れたのも詮無いことだろう。
 そうして、迎えた久々の休暇。朝から手には土産のケーキを持って、名刺に書かれた住所を頼りに、アトリエを探す。都会からほんの僅か外れた裏町の少し分かりにくいビルの地下にアトリエはあった。絵の具のきつい匂いが充満した部屋、昔の画家が狂ったのはこの匂いの所為かも知れないと思わせる。
 画家は鮮やかな絵の並ぶ奥の部屋で二人分の椅子と紅茶のカップ、そして大き目のスケッチブックを用意して待っていた。世間話でもしながら何枚かスケッチをして、後日キャンバスに作品を仕上げるのだそうだ。
 ケーキと紅茶、甘い香りが絵の具のきつさに混ざる中、昼まで私達はお喋りをして、その間画家の手は休まず私を描き続けていて、少し照れくさくもあったのだけれど、久しぶりの仕事以外での人との会話は羞恥よりも大きかった。
 会わなかった何年かの間に、画家は世界各地を放蕩して絵を描いて回り、そうして日本に帰ってきて画家になったのだという。見せてもらったスケッチブックは苦労が窺えるほどボロボロで、しかしたおやかな人々が描かれていた。忙しない都会で揉まれて、世渡りばかり上手くなってしまった私とは大違いだ。
「お疲れ様」
 絵描きはそういって、スケッチブックをたたむ。その言葉はモデルの仕事への礼であったのだろうが、私には、今までの人生への労いのように感じられて、家に帰ってから、その言葉を思い出して一人で泣いた。絵描きの前では泣けなかった、弱い部分を見せないようにと生きてきたのだから。
 後日、家に送られてきた大きなキャンバス。そこに描かれていたのは多少と美しすぎるようにも思えるが正しく私で、しかし。
 泣き顔であった。決して絵描きの前で、他人の前では秘密にしていた、泣き顔であった。