私は標識になりたい

 私は標識になりたい。出来ればアパートの前の、通学路を示す標識になりたい。今、彼女がそっとポールに手を触れているあの標識である。
 恐らく彼女は変態である。近くの小学校の、下校時間を狙ってあの標識の裏に隠れ、とはいえ細いポールに隠れ切れていないので煙草を吸ったり携帯をいじったりしてやりすごす。そして小学生が、主に3年生から4年生ぐらいのスカートをはいている女子が通ると、ちらりちらりと横目で見ているつもりだろうが傍から見ていると凝視しているようにしか見えない。一時間ほど、標識にもたれて下校時間を堪能し、彼女は帰っていく。アパート二階から彼女を見続ける私は人のことは言えないが、毎日毎日ご苦労なことである。仕事は良いのか? それとも私のように在宅の仕事なのだろうか。美人なのに変態である。可哀想だ。だがその変態美人に恋した私も可哀想だ。あの美人が日に一時間は触れている、あの標識になりたい。声を掛けてみる勇気も無く、私は切にそう願っている。
 ふとある策を思いついた、夏の日である。なんとなく仕事に行き詰ってテレビを点けると、ちょうどやっていたのがサスペンスだった。そこで思いついたのである。思い立ったが吉日ということで、私はすぐさま電話を掛けた。110。
「もしもし警察ですか、私の家の前にずっと、そうです、何日も立ち続けている人が居て……」
 サイレンの音が遠くに響いた。彼女はすぐに反応した。変態というかやっている行為に自覚はあったのだろう。煙草をもみ消したあと、彼女はあたりを見渡し、次に、私の方を向いた。私の方を? 見て、彼女は私に向かって指を指して、そうして、アパートの方に走ってきて、そのまま、私の部屋にやってきた。
「匿いなさい」
 勝手にドアを開けてずかずかと彼女は部屋に押し入ってくる。変態だけでなく住居不法侵入も辞さない構えらしい。私はというと、止めれば良いのに、至近距離の彼女に、少し汗のにおいがして、何も言えない。仕方ない。私も変態だ。
「あんた、私のこと見てたでしょ」
 パトカーが近づいてきたが、どこにも居ない変質者を探し、五分ほどして帰っていった。そして、残されたのは私と彼女。
「見てましたけど」
「ここ、良い場所ね」
 これからここ使って良いわよね、と、自信満々な変態美人に、私はなすすべなく。
「……標識にならずに済みました」
 何の話? と首をかしげる彼女に、話すのは明日でも良いだろう。