噴水

 噴水の周りには鳩が居る。たくさん居る。そして鳩に餌をあげないでくださいの看板がある。偏見だ。しかし真理ではないか、と密かに思っている。噴水とはそういう場所である。  だから私は彼女との待ち合わせにわざわざパンの耳を持っていった。待ち合わせ場所が公園の噴水で、きっと鳩がいっぱいだろうと信じていたからだ。更には彼女が遅刻してくるのは例のごとく分かりきったことで、暇つぶしの道具に文庫本も携帯も飽きてしまったからだ。  果たして鳩は居なかった。一羽も居なかった。公園には溢れかえった浮浪者と、私と、数羽のスズメとそれを狙う猫だけだった。親子連れなどが居ても良さそうな大き目の公園だが、逆に浮浪者が集まりすぎて本来の使用者は敬遠したようだ。不況の風は冷たい。浮浪者を横目に、私は噴水に向かう。  すぐに撒いてしまうつもりだったパンの耳を抱えて呆ける。ハンドバックに入れられる量にすればいいのに、わざわお洒落の欠片も無いビニールにしこたま詰めてきていた。わざわざパン屋で買って、である。仕方なく噴水の脇に腰掛ける。水は噴かない。不景気だ。鳩がいないならスズメにでもやろうと思ってパンの耳を千切って投げる。スズメはすぐに七羽も飛んできて、パンの耳を突いた。スナイパーの目をした猫は、私を警戒して寄ってこない。さすが野生である。天然人口都会育ちの私とは違う。  パンの耳を狙うのは鳥だけだと油断していた。どうにも私は思い込みが激しくていけない。私が放るパンに気付いたのか、一人の浮浪者が寄ってきたのだ。やばい、と思った。強盗窃盗その他色々と物騒な世の中である。浮浪者の真ん中で何をのんびりしているのか。私は焦る。焦る、浮浪者特有のにおいが鼻を突く。仕方なし、私は浮浪者が半径1mに入る前に言った、「差し上げます、パン」。すると、彼か彼女か分からないその人は、にっかりと黄色い歯を見せて笑った。「ありがとよ、譲ちゃん」。その人は、そのパンを持って、何人かの他の浮浪者に声を掛けて、パンの耳を分けて食べていた。幸せそうだった。身の安全を取り戻して、私はほっと横を見ると、猫がスズメを狩っていた。見事な狩り様だった。喉元を一撃だ。可哀想だとは思わない。猫が幸せそうだったからだ。猫は、私に一瞥をくれるとスズメだった肉塊をくわえてどこかへ行った。後は追わなかった。  彼女はまだ来ない。噴水の周りには鳩は居ない。噴水が水を噴かないぐらいに不景気だ。でも。  さっきの浮浪者がまた寄ってきて、にかっと黄色い歯を見せた。「お譲ちゃん、今年は良い事あるよ」、そう言って去っていく。その途端、噴水が勢い良く噴いた。見事な水しぶきだった。マイナスイオンたっぷりだ。その水の粒の向こうに、走ってくる彼女が見えた。  今年は良い事がある、その通り、きっと良い事がある。噴水の周りには鳩は居ないけれど、それだけは真理なのだ。